思ったことを思ったままに書き散らす水泡草は、いわば一種の思索日記です。思いついたことをそのまま「構成要素」として書き記し、後で要素を集めて「構成物」にまとめ上げます。記事ごとのタグづけによってわかりやすく、検索もしやすくなっているので、お暇があれば興味のある内容について一緒に考えてみては。
僕の専門は政治学です。ところが今まで、哲学や社会学というものになぜかひどくコンプレックスを抱いていました。僕がこの水泡草という場所を作ろうと思ったのも、そのコンプレックスのためなのかもしれません。そして、そのコンプレックスの原因がようやく分かりました。哲学も社会学も、対象の範囲がひどく広く、ありふれているのです。例えば政治学は国家間関係や国内行政など、自分と直接は関わりのないものしか対象にできません。しかし、哲学や社会学は、自分のごく身の回りの物事すら、さらに言えば自分自身すら対象にできるのです。自分のすぐ近くで起きている現象、自分やその周りの人間の行動、そういったものを理論的に考察できるわけです。僕はそこに焦りを感じていたのだと思います。彼らはすぐそこのそれについていくらでも論じることができるのに、僕はどこか遠くのどれかについてしか論じることができない。そういうことだったんだなあと思いました。
第1段の「最も愛するもの」とは、結局の正体は宗教なのではないだろうか。宗教を「心のよりどころ」と捉えると、いわゆる宗教を持たない我々が何をよりどころにして生きているのか、すなわち我々の持つ宗教は何か、という問いに転化できるように思った。そういった意味で、無宗教は存在しない、あるいはその考え自体宗教性を持っている、とも言える。
前段で書いたことについて。著名なヤンデレといえば桂言葉、芙蓉楓、園崎詩音の三人が挙がるだろうか。この中で言葉と詩音については前段で言ったヤンデレ像をほぼそのまま沿っていると思うのだが、あとの二人はどうも微妙だね、と書いたあとで思ったり。楓は途中までは健気に主人公のためを思って行動するけど、最後の最後でとる行動(時雨亜沙に出てけとかどなっちゃう)はどちらかというと「自分の利益」を目指したものだよね、と。でも楓がヤンデレじゃないとまでは言えないだろう。ありゃヤンデレだ。ヤンデレ谷のヤンデレぬし様だ。