僕の専門は政治学です。ところが今まで、哲学や社会学というものになぜかひどくコンプレックスを抱いていました。僕がこの水泡草という場所を作ろうと思ったのも、そのコンプレックスのためなのかもしれません。そして、そのコンプレックスの原因がようやく分かりました。哲学も社会学も、対象の範囲がひどく広く、ありふれているのです。例えば政治学は国家間関係や国内行政など、自分と直接は関わりのないものしか対象にできません。しかし、哲学や社会学は、自分のごく身の回りの物事すら、さらに言えば自分自身すら対象にできるのです。自分のすぐ近くで起きている現象、自分やその周りの人間の行動、そういったものを理論的に考察できるわけです。僕はそこに焦りを感じていたのだと思います。彼らはすぐそこのそれについていくらでも論じることができるのに、僕はどこか遠くのどれかについてしか論じることができない。そういうことだったんだなあと思いました。
本屋に行って趣味の本をいろいろと見てきた。京都市電とか未成線とか。困ったことに、読んでいるうちに「ああ、路面電車とかすごくレトロなガジェットだよな。ぜひ水東京に入れたい」とか思ってしまって、また設定やプロットの練り直しですよ。楽しいし、もう慣れたけど。ちなみに水東京というのは、構想だけはいっちょ前に五年以上かけている長篇小説(未成)の作品名『水東京ニライカナイ』のことです。大学生になったら暇にあかせて書き上げられるだろうなどと思っていたら、なぜか法学部ってクソ忙しいですね。みんながみんなロースクールに行きたいとか思ってたら大間違いですよ。
このサイトは横幅が全角文字でおよそ40字弱(38em)になるように設定されている。文字数を基準にしているので、ブラウザで文字のサイズを変えれば当然サイトの横幅も変わる。これは一つには、一行あたりの字数は35字から45字が一番読みやすいとどこかで見たことがあるからで、もう一つには600pxなどの完全固定幅にしてしまうと、ヘッダやフッタのデザインが崩れたり、ブラウザの文字サイズによっては一行あたりの字数が極端に多くなったり少なくなったりするからだ。ただ、このデザインもいくつか欠点があって、代表的なものだと例えば文字サイズが極端に大きかったりすると横スクロールバーが表示される、画像サイズまでは変更されないため、結果デザインが崩れることがある、など。私としてはヘッダやフッタのデザイン崩潰を防ぐための次善の策だったわけですが、調べてみるとこの手法、「エラスティック・レイアウト」という新しいレイアウト法として、若干注目されていたりするらしい。へえ、知らなんだ。
リンク先のLOVER'S NESTさんがいつの間にかサイト消滅していました。以前から更新していない状態が続いていたものの、いきなりサイトがなくなっていると何だかショック。これでリンクページから張られている外部リンクはたったの三件(しかもうち二件は小説検索エンジン)になってしまった。もはやリンクページの存在意義自体ほとんどないんじゃないだろうか、という気にすらなってくる。いっそ取っ払ってしまうのも手なのかなあ。もう時代はブログやmixiで、相互リンクやら何やらの時代は終わってしまったわけだし。さみしいなあ。
ようやくサイトのリニューアル作業がほぼ完了。あとは細かなチェックとかをして、三時間後くらいにはアップできるんじゃないかな、と。終わったら全力でテスト勉強とかありえん。結果無価値とか行為無価値とかわけ分からん。どっちでもええがな。
今サイトのリニューアル作業を進めている。リニューアルと言っても見た目にさしたる変化はなく、ほとんどがコーディングの見直しだ。ほとんど論理のみに依拠したコーディングに変換中。もしかしたら自分は軽くW3C信者かもしれない。まあ、軽くだけど。