「非常に民主的な手続きによって」
教壇には一人の女性教諭、凛とした声を教室に響かせている。教室には教諭のほかに十数人、まばらに座っても空席が目立つ。
「最初の立法が行われました」
生徒はみなただ一点、教諭の顔から一時も目を逸らさず、表情一つ変えず瞬き一つせずに講義に食い入っている。ギリシャ歌劇のペルソナが立ち並んでいた。
「この立法は民衆党の一議員が先導し、その結果最初の良き規正が執り行われました。七年前のことです」
教諭は教鞭で生徒を指しあてる。指名された生徒は、はい、と返事をして、
「未成年児童を性愛の対象とする電子的な猥褻物です」
と淀みなく答える。教諭は軽く頷くと、
「その通りですね。猥褻な内容を含むゲームが規正の中心だったようです。最初の立法時には、おぞましき背徳者による強固な反抗があり、良き規正を電子的媒体に制限せざるを得ませんでした。これは偉大なる民主主義を冒涜する行為であり、絶対にあってはならないことです。良き民主主義に反抗するなどということは、悪しき帝国主義でしかありません」
どの生徒も完全に同じタイミングで力強くうなずくと、教諭も満足げに軽くうなずき返す。
「もちろん、この二年後には制限は撤廃され、未成年児童を性愛の対象とするすべての表現媒体が追放されました。良き民主主義は正義であり、絶対です。いかなる干渉もうけません」
生徒たちが教諭の発言を復誦する。民主主義は正義であり、絶対です。教諭は目をつぶって聞いている。民主主義は正義であり、絶対です。完全に同一の間合いで声が放たれ、共鳴して窓ガラスが小刻みに揺れる。民主主義は正義であり、絶対です。三度目の復誦が終わったとき、教諭は目を開け、生徒も一斉に口を閉じた。ペルソナが十数枚、教諭の言葉を待っている。正しい声を渇望している。
ひと呼吸おき、教諭は、
「言うまでもなく、ロリータ・コンプレックスは病気です。病人が良き市民に害を与える場合、一般保護の必要があります。ロリータ・コンプレックスは隔離され、抹殺されなければなりません」
教室の真ん中辺りに男児が二人、横に並んで座り、机の下で手をつないでいる。教壇からははっきり見える位置であったが、それを教諭が気にとめることはなかった。
「それではその後の話です。次の立法は四年前に行われました」
「はい。性愛の対象の年齢にかかわらず、猥褻な表現を含む非写真媒体一般が規正されました」
教鞭で指された生徒はすらすらと答え、息継ぎの回数も一度にとどめた。
「その通り。ここでの非写真媒体とは、漫画や絵画、アニメーションなど、実写でない表現方法全般のことを指します。しかし、この立法はほとんど効果がありませんでした。非常に民主主義的な内容にもかかわらず、その一部が歪曲されたのです」
「はい。猥褻の定義です」
教諭はその通り、と返した後、明らかに表情を険しくした。無神論者と異端者と穏健派について語る狂信者の顔だった。
「一部の蒙昧な法学者が猥褻の定義について極端に緩慢な学説を唱え、愚かしい判例がそれに追随しました。その結果――」
「はい。骨抜きとなった規正を前に、それまで通りの出版が続きました」
今度はその通りと言わなかった。声を一段落とし、しかし力をこもらせて、悪しき出版が続きました、と返した。答えた生徒はあっという顔をしたかと思うと、顔を真っ青にさせ肩を震わせながらうつむいて、それっきりだった。教諭はその生徒の――それの顔も見ず、何か出席簿にメモを取るようなしぐさをしている。
書き終わり、出席簿が閉じられる。教諭は生徒の方に向き直ると、まるで何事もなかったかのように講義を続けた。
「――そこで一年後、規正の内容が見直され、猥褻な表現を含まないものについても同様に規正の対象となりました。背徳者は自分で自分の首を絞めたのです。それではこの規正がもたらした喜ばしい影響についてですが」
「はい。良き規正により五十七の背徳的な出版社が倒産ないし廃業し、公共の出版物はほぼ浄化されました」
教諭の顔はすでに穏やかなそれに戻っていた。
「その通りです。完全なる浄化はその後の更なる規制を待たねばなりませんが。ところでみなさん、わが国は民主主義国家であり、また罪刑法定主義を原則としています。不遡及の原則もあります。正当な理由なしに市民を拘束したり、まして死刑に処するなどということは、相手がたとえ背徳者であっても許されることではありません。民主主義は平等なのです。では、それまで悪しき出版を行ってきた背徳者は一体どうなったのでしょう」
生徒の一人が手を挙げる。教諭は笑顔で彼を指名した。この教室において、自主性は高度に尊重される。
「はい。全員罪の意識に耐え切れずに自ら命を落としました」
「その通りですね。罪を償うべく全員が自殺しました。当然のことです。良き市民を惑わし、民主主義を愚弄した罪は死をもってしか償えません」
生徒がうなずくのを見て、教諭も満足げにうなずき返す。教室の空気は、それ自体ひとつの有機物のようだった。
「そもそも絵やアニメーションなどというのは、現実を写し取ったものではありません。そのようなものに恋愛感情や性的興奮を覚えること自体、病的な行為でしかないのです。ロリータ・コンプレックスと同様、社会に存置させておく理由などありません。隔離され、抹殺されるべきなのです」
うなずきの応酬は続く。
「それと同様、窃視症もまた病気であり、害悪です。窃視症の存在が性犯罪や性の商品化を生み出すのです。それを防ぐための良き立法が、二年前に行われましたね」
「はい。猥褻な写真媒体も規正の対象となりました」
「その通りです。この規正は四年前の反省を生かし、条文中であらかじめ猥褻の定義を明確にしていました」
言いながら、不安げな顔で伏せ目がちにしていた少女を指名する。少女は指されて狼狽し、二言三言、あ、あ、と口ごもって、
「人間の身体のうち、頭部、両腕と膝下以外の部分が……部位が……」
とまで絞り出したきり、何も言えなくなって頭を垂れた。顔は青ざめ、自らの処遇に顎を震わせている。先ほど誤謬を指摘された少年の方をちらりと見て、思いつめた表情をさらに色濃くさせる。その少女は中でも優秀な生徒であったため、彼女の方を気の毒そうに見つめる生徒も少なくなかった。しかし、教諭はくすりと微笑むと、
「少し難しかったですね。しかし前半まで言えたのでよしとしましょう。正しくは、人間の身体のうち、頭部、両腕および膝下以外の部位が正当な理由なく露出あるいは強調された表現、ですね」
とやさしく言った。驚いた少女が恐る恐る顔をあげると、教諭は含みのない言い方で、次からはしっかり予習するようにね、と目を細めた。少女がかすれた声で、はい、と答えると、再び生徒たちの目は教諭に集中する。
「さて、これで公共の出版物は完全に浄化されました。良き市民は良き出版物のみに囲まれ、真に知的な生活を享受できるようになりました。しかし性犯罪はあまり減少しなかったため、新たな対策が必要になったのでしたね」
「はい。性的行為全般が規正の対象となりました」
「その通りです。民主的な手続きを経て、性交渉は夫婦間においてのみ合法な行為となりました。昨年のことです。倫理的に考えて当然のことなのですが、驚いたことに、恋人同士にしかない男女が性交渉を行ったとして検挙される例がいまだに後を絶たないのです。皆さんはどう思いますか?」
全員が口をそろえ、背徳的で良くないことだと思います、と答えた。まるで音源が一つしかないかのようだった。教諭はうなずくと、
「そうですね、先生も背徳的で良くないことだと思います。みなさんは民主主義によって決められたルールを守り、性について正しい判断が出来るような大人になりましょうね」
口々に、はーい、と言う声が聞こえる。初めて異なるタイミングで複数の声が聞こえた瞬間だった。教諭は全員が返事をし終えるのを笑顔で見届け、
「さて、ここからが本題です」
表情を変えた。
「みなさんはまだ性についての自己決定が出来る年齢ではありません。そのような存在は法的に保護する必要があります。昨年の規正の際に、同時に決定された事柄です」
生徒のペルソナも、氷のように冷たい。
「自己決定ができない人間にとって、恋愛は非常に危険な行為です。本当に好きなのかどうか、その人には判断ができないのですから。そこで、成年による未成年児童への恋愛感情の表出は刑事上の罪とする立法が行われましたが、未成年同士の場合は刑事罰を課すことができない以上、犯罪とすることはできません」
うなずきは機械的なものへと変わっていた。教諭は教室のドアへと歩きながら、
「そこで、未成年同士の恋愛の処理については当事者の管轄機関、つまり学校などに委任するとの決定がなされました」
とまで続けて、ドアを開ける。廊下から手をつないだ男女が連れてこられた。二人ともうつむいたまま、前を向こうとしない。教諭はつながれた手を叩くと、生徒の方に向き直った。
教諭は何も聞かなかった。生徒が自主性をもって、全員同時に答えた。
「背徳的で、良くないことです」
教諭は大音声の中、少年の方を教壇の真ん中まで突き出した。
「おぞましき背徳者です。校則に照らし合わせ、退学させるべきです」
と生徒たちは声を束にした。教諭は少年を教壇から乱暴におろすと、次に少女を突き出した。
「背徳者ですが、被害者でもあります。校則に照らし合わせ、反省期間として三ヶ月の停学にさせるべきです」
と生徒たちは声を一にした。教諭がうなずいて、小さな恋人たちの処分が決定した。
非常に民主主義的な決定だった。